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下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

下流志向 /学ばない子どもたち 働かない若者たち ***
>>>我が国の格差問題の原因について、1つの衝撃的な解答を示す書。若年層が社会から逸脱し下流に落ちるのは環境ややる気の問題ではなく、まともな生活を営むうえで決定的な能力が欠落していることによると説く。著者の専門は文学・思想史であり、統計的な分析や実地調査に基づく分析は用いていない。しかし、人間のあり方そのものを深く洞察する手法で「学び」と「労働」を放棄する若者の思考のメカニズムを、説得力をもって解明していく。>>>amazonより

京都での同窓会で、恩師に読んでみたらよいと勧められた一冊。
現代のこどもは、すでに就学以前に消費主体として自己を確立しているため、学校の教室は、等価交換の場となっているのだと、著者はいう。
おもしろい考え方だと思う。確かに今のこどもは役にたつことが好きだ。それ以外にはほとんど興味がないといってもいい。だからわたしも、高校生に必修として茶道を教えるにあたって、茶道の、現実生活に役に立つ面を強調して指導してきた。その方が興味を持ってもらえるからだ。そして、生徒の反応も見ず、興味を持たせる努力もせず、ただ垂れ流すように講義をするのは、教師の怠慢であり努力不足であると思ってきた。しかしこの本を読んで、果たしてそれは正しかったのか。。と疑問を持つようになった。いや、この本を読む前から、このごろの子どもたちの様子をみて、多少の疑念を持つようにはなってきていた。
本来学問とは、役に立たないものではないのか。義務教育ならまだしも、高等教育ではとくに。学ぶということの意味、それを考えさせることが、本当の学びなのではないか。
親切にわかりやすく説明するのは、こども自身の考える力の育成を阻むことになりかねない。
学ぶことは、消費活動のように同時的等価交換ではない。等価交換にはなりえない。なぜなら、学ぶことによって変化する自分を同時的には手に入れられないからだ。というようなことを著者はいう。労働もしかり。確かにそうかもしれない。興味深い見解だと思う。
さらに、著者は、教育に市場原理を持ち込むのは、教育の自殺である。という。学校で身につける、能力を向上させる能力のようなメタ能力は、数値化はできないし、こどもは学校という工場の製品ではないからだと。わたしはこの意見には賛成できない。
教育には、たしかに数値化できないことのほうが多いが、数値化できることだってたくさんあるのだ。数値化することによって、メタ能力開発にいい影響を及ぼすことができる場合だってあると思う。
なかなかいろいろ考えさせられた一冊だった。
内田樹氏の他の本も読んでみたい。