なかなか暮れない夏の夕暮れ

なかなか暮れない夏の夕暮れ

なかなか暮れない夏の夕暮 ****

日が暮れるころのことを夕暮れというのだから〈なかなか暮れない〉というのは不思議なタイトルだ。けれども、主人公の稔について知れば知るほどぴったりに思えてくる。彼は親の遺産で暮らし、子供のような服を着て、本ばかり読んでいる。行動範囲は狭く、女性に対して消極的なのに、なぜか女の出入りが激しい。五十という年齢を考えれば人生の黄昏時にさしかかっているはずだが、なかなか暮れない男なのだ。
稔の日常とともに、ドイツと日本を往復する姉、一緒に住んではいないが読書好きという共通点がある娘、稔と親族の顧問税理士を務める友人、道楽で開いたソフトクリーム屋の従業員など、周囲の人々の日常が描かれる。同じ夏の夕暮れに、それぞれ異なる不安を抱え、異なる景色を見ている人たちの時間が重なり合うところがいい。
例えば稔とデートする同級生は、夕風の渡るビアガーデンで初めてホテルに行った日のことを甘やかな気持ちで思い出す。ところが、自分と寝ても彼の態度が以前と全く変わらないことに気づく。また、籍を入れないまま稔の子を産んだ元恋人は、別の男と結婚し、望んでいた普通の家族を手に入れたにもかかわらず、ガラス越しに夕空を眺めながら逃げだしたい衝動にかられてしまう。
稔は近づいた人に物寂しさを感じさせる。夕暮れみたいに。彼はみんなに優しく親切だが、友情と恋愛の区別をつけない。意図しているわけではなく、区別をつける発想がない。この世でいちばん好きなのは姉だが、彼女が遠くへ行っても引き止めることはない。誰も縛らず、誰にも縛られない彼は、自由な代わりに独りだ。ただ、不幸ではない。きっとそばにいつも本があるからだろう。
作中には稔が読んでいる小説の文章がそのまま挿入されている。一冊は北欧ミステリーで、もう一冊はカリブ海に浮かぶ島が舞台の恋愛小説だ。どちらも血なまぐさい物語だが、彼は世界に入り込み、登場人物のことを親しい友人のように話す。読書は現実から逃避するためのものではなく、何かの代償行為でもない。本のなかで過ごす時間は、彼にとって人生と不可分の一部だからだ。
本で出会った人たちの言葉は、稔に静かに寄り添う。大好きな姉と同じ場所で違う本を読むシーンは美しく、小説に出てきた珍しい料理を作ってみるくだりは愉しい。孤独と幸福は両立するということを教えてくれる本だ。できるだけ長くこの夏の夕暮れのなかにいたくて、なかなかページを繰れない。
評者:石井 千湖